ここではないどこか
ここではないどこか。
この言葉って、ほんとにそうだなっておもうわ。
わたしも、いま、この場所が、窮屈な訳じゃない。
ただ、窮屈ではないんだけど、どこかへ行きたい。
とくに、わたしは
空を飛びたい、とりみたいに。
いつも、青空を飛んでいる鳥をみておもう。
あぁ、鳥になって、空を飛びたい。
いつからこう思うようになったんだろう。
鳥になってどうするのかもきめてないのに。
とりなんて、今より全然窮屈かもしれないのに。
空を飛びたいとか、そういうことば、病んでる時によく言う、ってみんないうけどわたしはちがうとおもってる。
だって、わたしはまいにちおもうもん。
これが病んでるんだったらとっくに死んでるでしょう。
わたし、やんでない。
そうだね、なんか。どこかにいけるとおもってる。
鳥は、鳥のことはよくわからないけど、わたしが鳥になったらきっと、仲間とか、仕事とか気にせずにどこか飛んで行っちゃうんだろうな(笑)
とおいところに。
ここじゃないところに、なにかある。
今も、飛んでいってしまいたい。
わたしは、光のある、煌びやかな世界に憧れているから、きっと東京かな。
しょうらいは、東京に出たい。
東京で住んで、東京で死にたい。
あの賑やかな都市で。
東京に憧れを持ったのはたぶん、てれびをみたから。テレビでの東京の世界は私の住んでるところとはまったくちがって、ほんとうにちがって。日本って、場所によってこんなに違うんだっておもった。
ひともたくさん。そこからすきになったのかな。
東京は、住むところじゃない。なんて誰が決めたの?(笑)
私に決めさせて欲しい。まだ、住んでもないのに、なんでそんなことがいえるのだろうか?
私の親はいう。目標があって、東京に出るならいいよ。ってね。
目標なんてない。ただ、憧れた街に、私は生きたい。生きることをしたい。
”そこ” に、行きたいから、住みたいから行く、上京する。ではだめなんだろうか?
行きたいところにも、行けないのだろうか?
そうしたら、皆は言う。お金の問題、家族の問題、距離の問題。その他諸々。
そんなことはどうでもいい。
だってわたしは、それも分かって、理解して、覚悟した上で、行くのだから。
そこまでして、わたしはわたしの”自由”を得たい。
でも私はまだ、成長過程の人間だ。
だから、きっと、制限される。
まだまだ檻の中だとおもっている。
鳥になれたら。
ここではないどこかへ行けるのだろうか。
なったこともない、なれるはずもない鳥に、いつもいつも幻想を抱いている。
檻の中からでたい。
心配なんて、要らない。
周りからの、心配 を初めて無くして、自由になれるとおもう。わたしはね。
自立。
ここではないどこか。わたしはいけるのだろうか。
きょうも、生きよう。
ばいばい。